カケル「先生、飛鳥・奈良時代の農民の暮らしって、教科書だと年貢を納めて大変だったって書いてあるけど、実際にはどんな感じだったんですか? 今の農家さんとは全然違うんですよね? なんかイメージがわかなくて…」
テイス「カケルさん、良い疑問ですね。教科書では簡単に触れられている部分ですが、当時の農民の生活は、現代とは大きく異なる点が多く、興味深いテーマです。まず、カケルさんが「今の農家さんとは全然違う」と感じたのは、どのような点でしょうか? 具体的に教えていただけますか?」
カケル「えっと、今の農家さんは機械を使ったり、スーパーで売ったりするけど、当時の農民は全部手作業で、自分で作ったものを自分で食べるしかなかったんじゃないかなって…あと、税金もたくさん取られて、いつもお腹を空かせていたようなイメージがあります。」
テイス「なるほど、カケルさんは、現代の農業と比較して、当時の農業は手作業で自給自足、そして過酷な年貢の取り立てによって貧しかった、というイメージを持っているのですね。それは、歴史の教科書でよく描かれる一面ではありますが、より深く理解するためには、いくつかの点に注意して考える必要があります。まず、当時の農民は、どのような土地で、どのような作物を育てていたと思いますか? 」
カケル「えーっと、田んぼとか畑で、お米とか麦とか、あと野菜とかを育てていたんじゃないですか? 教科書に載っていたような気がします…」
テイス「そうですね。しかし、当時の農業技術は現代とは大きく異なります。鉄製の農具は普及しておらず、木製の鍬や鋤を使った手作業が中心でした。また、水田耕作もまだ初期段階で、自然環境に大きく左右される不安定な農業でした。そのため、干ばつや洪水などの自然災害が起きると、収穫が大幅に減少し、飢饉に陥ることも珍しくありませんでした。ここで、当時の農民の生活をより深く理解するために、律令制における税制度について考えてみましょう。カケルさんは、どのような税があったか知っていますか?」
カケル「えっと、租・庸・調ですよね? 授業で習いました。でも、それが農民の生活にどう影響していたのかまでは、よくわからなくて…」
テイス「素晴らしい、よく覚えていましたね。租・庸・調は、当時の税制の根幹をなすもので、農民の生活に大きな影響を与えていました。租は収穫した米を納める税、庸は都での労役、調は地方の特産物を納める税です。ここで、カケルさんに少し考えてほしいのですが、これらの税は、農民にとってどのような負担になっていたでしょうか? 特に、庸と調について考えてみてください。」
カケル「うーん、庸は都まで行かないといけないから、農作業ができなくなって大変そうだし、調は特産物って言っても、いつも採れるわけじゃないから、それを税として納めるのも大変そう…」
テイス「その通りです。カケルさんの言うように、庸は農作業ができなくなるだけでなく、都への往復で時間や労力を費やす必要がありました。また、調は、地域によっては特産物が少ない場合もあり、税を納めるために無理をして生産したり、他から購入しなければならない場合もあったと考えられています。さらに、税の取り立ては厳しく、不正を行う役人もいたため、農民は非常に苦しい生活を強いられていました。しかし、一方で、全ての農民が常に飢えていたわけでもありません。当時の農民は、共同体として協力し、互いに助け合いながら生活をしていたという側面もあります。ここで、少し視点を変えて、当時の農民の生活を支えていた、もう一つの要素について考えてみましょう。それは何だと思いますか? 」
カケル「え、なんですか? 税金以外に何かあったんですか?」
テイス「そうです。それは、仏教の存在です。飛鳥・奈良時代には、仏教が広く信仰され、仏教寺院は、農民にとって、心のよりどころであり、また、医療や教育などの社会的な役割も担っていました。例えば、お寺でお米を分け与えたり、病気の治療を行ったり、読み書きを教えたりしていました。これは、現代でいうところの福祉施設のような役割を果たしていたと言えるかもしれません。このような背景も理解しておくと、当時の農民の暮らしが、より多角的に見えてくるはずです。 さて、ここで少し応用問題をしてみましょう。もしあなたが飛鳥・奈良時代の農民だったら、どのような工夫をして生活をしていたと思いますか? 自由に発想を広げて考えてみてください。」
カケル「えーっと、もし僕が当時の農民だったら… まず、用水路を整備して水不足にならないように工夫すると思います。それから、みんなで協力して田植えとか収穫を早く終わらせるようにして、余った時間でちょっとした手工業をしたり、お寺の手伝いをしたりして、食料を確保するかな…あと、できるだけ税金を少なくしてもらうように、村の代表みたいな人に頼んで交渉してもらいたいかも…」
テイス「素晴らしいですね、カケルさんの発想力には感心します。まさに、当時の農民も、水利施設の整備や共同作業、副業、そして交渉などを通して、厳しい生活を乗り越えようとしていたと考えられています。これらのことから、飛鳥・奈良時代の農民は、ただ年貢を納めていただけでなく、様々な工夫や努力を重ねて、必死に生きていたことがわかります。最後に、今日の講義で学んだことを、カケルさん自身の言葉でまとめてみてください。」
カケル「はい。飛鳥・奈良時代の農民の暮らしは、教科書で習うよりもずっと大変で、年貢以外にも労役とか特産物とかも納めないといけなくて、大変だったけど、お寺に助けてもらったり、みんなで協力したり、色々な工夫をして生きていたことが分かりました。だから、教科書に書いてあることだけじゃなくて、もっと色々な角度から当時のことを考えないといけないんだなと思いました!」
テイス「素晴らしいまとめですね、カケルさん。今日の講義を通して、飛鳥・奈良時代の農民の暮らしに対する理解が深まっただけでなく、歴史を多角的に捉えることの大切さも学ぶことができましたね。この学びを活かして、今後の歴史学習も楽しんでください。今日は本当によく頑張りましたね。」